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究極の砂漠 White tent

ある砂漠好きの知人の言葉。
「私にとって砂漠は、アライさんと違って遊牧民との繋がりの延長線上にこそ存在します。」
「アライさんが求める究極の砂漠って、人が誰もいないところじゃないですか?」

頭の中にでっかい「?」マークが浮かび、しばし考えた。
僕の場合は、その土地の人々に魅力を感じなければ、その土地の風景も撮りたいと思わないように、単に人がいなければそれでいいわけではない。
僕は決して人嫌いではない。人がいない砂漠がいいというのは、観光客が多い足跡だらけの砂漠が苦手ということであって、遊牧民も通らない誰もいない砂漠という意味ではなかった。

例えば、簡単に一人きりになれる砂漠といったら、僕が行ったことのある中では、旅人がほとんど誰も訪れないアラビア半島のエンプテイクオーター。ひとりきりになれるどころか、10分程度歩いたくらいで遭難するのだっていとも簡単なくらいの複雑な砂丘群がある。だからと言って、あの砂漠に一人で(また)入りたいとは思わない。それは簡単な理由。あの砂漠の遊牧民。正確に言えば、既に遊牧などしていないから元遊牧民があまり好きではないからだ。逆に、そこに住む人々が大好きなリビアのサハラ砂漠やシナイ沙漠で一人きりで歩きたいとは思う。
それぞれの砂漠にはそこを遠い昔から歩いた遊牧民のスピリットのようなものも、宇宙や地球や神の存在と共に感じるから。人は宇宙の一部だと強く感じる。

遊牧民とのコミュニケーションや、彼らを撮るのも好きだ。ただし、僕の場合はあくまでもアウトサイダーとして関わるのが心地いいだけのこと。その土地や人々を深く知るのに、深く関わるのに、自分がその人たちの一人になる必要はまったくないと僕は思うから。
日本人は何処で何十年暮らしても日本人。遊牧民はどこで暮らしても遊牧民。
その人たちの一人にならなくとも、その土地やその人々と理解しあうのは十分可能なことだから、と今は思う。
アプローチの仕方やスタンスが違っても、その土地や人々を好きなことには変わりない。

砂漠に静けさや宇宙を求めてはいるが、実際に砂漠でたった一人きりになったのは、サハラの砂丘で1日中歩き回って迷子になった時と、アラビア沙漠で8時間ほど迷子になって遭難しかけた時の2度のみだ。その2度とも、短時間の恐怖感の後に、過去に体験したことの無い心の平安を感じている。平安?極端な言葉かもしれない。しかし、心が無の状態になり、恐れも、あらゆる感情の起伏も通り越した完全に安定した精神状態を体験した。
常に心をかき乱すものは、なんらかの「恐れの感情」なのかもしれない。

やはり、僕の求める砂漠は、人がまったくいない場所だろうか?
しかし、砂漠ギツネやラクダくらいは一緒にいて欲しい。なんなら宇宙人でもかまわないから生命体が居てくれた方が心強い。

究極の砂漠・・果たしてそのような場所が存在するのだろうか?
答えなど無い。きっと考える必要も無いのだろう。そのような場所が存在しなくてもいい。
限られた残りの時間の中で、物静かな遊牧民の案内の下で、またはラクダやロバと一緒もいいだろう、観光化されていない静かな砂漠で、地球や宇宙をあと何回でも可能な限り感じたい。
砂漠が好きなだけ。それだけのこと。理由なども要らない。

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