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相性 In Libya

どちらが悪いわけでもないのに上手く噛み合わない土地や人々との関係がある。逆に驚くほどピッタリと合う土地や人々との関係もある。

例えば、アラビア砂漠の一部。大好きなオマーンという国の中の砂漠でも、ワヒバ砂漠ではべドウインとの会話も心地よいし、気持ちよく過ごした思い出ばかりなのに、エンプテイクオーターと呼ばれる砂漠では、べドウインでかなり嫌な思いをし、車はスタックするなど、立て続けにろくなことが無かった。
遊牧民は皆いい人、なんて嘘はやめておこう。何処の人々もいい人もいれば、そうでない人もいて当然なのだから。

ヨルダンの沙漠では毎回行くたびに、べドウインの発言に強烈に不快で腹立たしい思いをし、毎回口論や喧嘩を経験している。逆に隣の国のシリアのべドウインには好印象しか持っていない。しかし、このヨルダンでは素晴らしいべドウインにも数名出会っているので、単に個人との相性なのかもしれない。

エジプトの西方砂漠や、アラビア沙漠に入るシナイ沙漠、そしてリビアやモロッコのサハラでは、楽しく気持ちよく過ごしたことしか思い出せないくらいに、土地も人々も自分と相性がいいようだ。

そして、果たして相性が吉と出るか凶と出るかは想像もつかないくらいに、僕にとっては未知の謎の場所。次に訪れてみたいなあ、と思うのはカタールのインランドシー。砂漠の内海。有名な観光地でもあるし、行かれた人たちの感想は賛否両論なので大きな期待はしていないが、なんとなく気になる場所だ。
その砂漠の「広大な何も無い空間」をそう遠くない将来に見てみたい、と願う。いつになるやら。

画像は、僕が特に相性がいいと感じたリビアのサハラ砂漠で。彼はトウワレグ族のような格好をしているが、トウワレグではないそうだ。何が違うのかは僕にはよく理解出来ず。彼もベルベル系ではあるそうだが、、?(2007年冬撮影。いつの間に、既に3年近くも経つのか。。。)


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究極の砂漠 White tent

ある砂漠好きの知人の言葉。
「私にとって砂漠は、アライさんと違って遊牧民との繋がりの延長線上にこそ存在します。」
「アライさんが求める究極の砂漠って、人が誰もいないところじゃないですか?」

頭の中にでっかい「?」マークが浮かび、しばし考えた。
僕の場合は、その土地の人々に魅力を感じなければ、その土地の風景も撮りたいと思わないように、単に人がいなければそれでいいわけではない。
僕は決して人嫌いではない。人がいない砂漠がいいというのは、観光客が多い足跡だらけの砂漠が苦手ということであって、遊牧民も通らない誰もいない砂漠という意味ではなかった。

例えば、簡単に一人きりになれる砂漠といったら、僕が行ったことのある中では、旅人がほとんど誰も訪れないアラビア半島のエンプテイクオーター。ひとりきりになれるどころか、10分程度歩いたくらいで遭難するのだっていとも簡単なくらいの複雑な砂丘群がある。だからと言って、あの砂漠に一人で(また)入りたいとは思わない。それは簡単な理由。あの砂漠の遊牧民。正確に言えば、既に遊牧などしていないから元遊牧民があまり好きではないからだ。逆に、そこに住む人々が大好きなリビアのサハラ砂漠やシナイ沙漠で一人きりで歩きたいとは思う。
それぞれの砂漠にはそこを遠い昔から歩いた遊牧民のスピリットのようなものも、宇宙や地球や神の存在と共に感じるから。人は宇宙の一部だと強く感じる。

遊牧民とのコミュニケーションや、彼らを撮るのも好きだ。ただし、僕の場合はあくまでもアウトサイダーとして関わるのが心地いいだけのこと。その土地や人々を深く知るのに、深く関わるのに、自分がその人たちの一人になる必要はまったくないと僕は思うから。
日本人は何処で何十年暮らしても日本人。遊牧民はどこで暮らしても遊牧民。
その人たちの一人にならなくとも、その土地やその人々と理解しあうのは十分可能なことだから、と今は思う。
アプローチの仕方やスタンスが違っても、その土地や人々を好きなことには変わりない。

砂漠に静けさや宇宙を求めてはいるが、実際に砂漠でたった一人きりになったのは、サハラの砂丘で1日中歩き回って迷子になった時と、アラビア沙漠で8時間ほど迷子になって遭難しかけた時の2度のみだ。その2度とも、短時間の恐怖感の後に、過去に体験したことの無い心の平安を感じている。平安?極端な言葉かもしれない。しかし、心が無の状態になり、恐れも、あらゆる感情の起伏も通り越した完全に安定した精神状態を体験した。
常に心をかき乱すものは、なんらかの「恐れの感情」なのかもしれない。

やはり、僕の求める砂漠は、人がまったくいない場所だろうか?
しかし、砂漠ギツネやラクダくらいは一緒にいて欲しい。なんなら宇宙人でもかまわないから生命体が居てくれた方が心強い。

究極の砂漠・・果たしてそのような場所が存在するのだろうか?
答えなど無い。きっと考える必要も無いのだろう。そのような場所が存在しなくてもいい。
限られた残りの時間の中で、物静かな遊牧民の案内の下で、またはラクダやロバと一緒もいいだろう、観光化されていない静かな砂漠で、地球や宇宙をあと何回でも可能な限り感じたい。
砂漠が好きなだけ。それだけのこと。理由なども要らない。

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初めての砂漠 Morocco

僕が初めて行った砂漠は、モロッコのメルズーカだった。
それまでは、特に砂漠に対する大きな憧れがあったわけでもない。
映画の中の砂漠や小説の中の砂漠に夢を見た事はあった。
でもそれは、いつか絶対に行ってみたいというほどのものでもなかった。

ある日、突然に衝動的に砂漠が見たくなり、小さなリュックで旅立った。
メルズーカのはずれの小さな宿に何日もいた。
毎日、日の出から日没までひたすら砂丘を歩いた。
生まれて初めて、「地球」の存在を強烈に感じた。
方向感覚を失いそうになりそうになりながら、
砂丘の高いところに登っては位置を確認した。

夜は宿の屋上で寝た。キツネが来た。
信じられないくらいの流れ星に、宇宙を感じながら、地球に生まれてきたことに感謝した。

宿で働くベルべル人の親子と、僕以外に宿泊客のいない宿の静けさに、
感じたことのない不思議な感情を覚えた。
電気も無い宿だった。夜は蝋燭の光を灯し、音楽さえなかった。
今、どうなっているのか、その宿が同じまま存在しているかはわからない。
その想い出が、あまりにも素晴らしく美しいので、
また再びあの場所には行くことはないだろう。
もちろん、彼らにまた会いたいとは思うことはある。
しかし、同じ「時」は2度と繰り返されない。

僕の記憶の中で、あの親子は永遠にあの時のまま、
僕は彼らの記憶の中で、永遠にあの時のままであって欲しいくらいに壊せない想い出だ。

あれ以来、砂漠が深く知りたくて、長い年月の間に僕はあちこちの砂漠に行ったが、
このモロッコの砂漠以上の「砂漠の時」にはいまだに出会えていない。


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砂の少年 a Boy in the desert

砂漠で生まれ育った元気な少年。

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砂の天使達 Angels in the Desert

旅人が訪れる事のない、砂漠のはずれの小さな遊牧民の村で。

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