Conversation In Peace
サハラはどこからか? where Sahara is
ずっと気になっていたことがある。
サハラ砂漠はどの場所を指すのかということ。
サハラはアラビア語で「砂漠」なので、世界中の砂漠がサハラになってしまうような気もするが、ある日、サハラ砂漠出身のベルベル人にワルザザートの近くで聞いてみた。
「ここはサハラ?」
「違う。もっと先、ザゴラの少し先辺りから」
「ここはサハラと違うのかな?」
「いや、サハラは緑の無い場所」
「砂の場所?」
「違う。岩でも土でもいい。しかし、緑の無い枯れた場所」
そう言われてもなあ・・・砂漠のど真ん中にも椰子の木はあるし、砂丘には草も生えている。
もちろん、椰子が数百本から数千本もあるオアシスは砂漠でも沙漠でもないのは分かってはいるが、、、しかし、オアシスも砂漠の一部ではないのだろうか?
とりあえず、モロッコの場合はアトラス山脈を越えたらサハラだと思うことにした。
もうひとつ、気になるが未だに答えが見つからないこと。
エジプトのリビア砂漠はサハラ砂漠に入るのか、または別の砂漠なのかということ。
ものによって、エジプトのリビア砂漠はサハラ砂漠の一部と記載されてはいるが、分けられていることもある。
さて、どうなんだろう?
とりあえず、リビア砂漠はサハラ砂漠の一部だと思うことにしている。北アフリカの砂漠はすべてサハラに含まれるのではないかと。
さて、ではアラビア砂漠は?これは悩むことがない。ほぼ共通して、紅海から先のシナイ半島とアラビア半島を含むアラブ圏の砂漠を全てをアラビア砂漠と呼ぶようだ。

ZD50-200
サハラ砂漠はどの場所を指すのかということ。
サハラはアラビア語で「砂漠」なので、世界中の砂漠がサハラになってしまうような気もするが、ある日、サハラ砂漠出身のベルベル人にワルザザートの近くで聞いてみた。
「ここはサハラ?」
「違う。もっと先、ザゴラの少し先辺りから」
「ここはサハラと違うのかな?」
「いや、サハラは緑の無い場所」
「砂の場所?」
「違う。岩でも土でもいい。しかし、緑の無い枯れた場所」
そう言われてもなあ・・・砂漠のど真ん中にも椰子の木はあるし、砂丘には草も生えている。
もちろん、椰子が数百本から数千本もあるオアシスは砂漠でも沙漠でもないのは分かってはいるが、、、しかし、オアシスも砂漠の一部ではないのだろうか?
とりあえず、モロッコの場合はアトラス山脈を越えたらサハラだと思うことにした。
もうひとつ、気になるが未だに答えが見つからないこと。
エジプトのリビア砂漠はサハラ砂漠に入るのか、または別の砂漠なのかということ。
ものによって、エジプトのリビア砂漠はサハラ砂漠の一部と記載されてはいるが、分けられていることもある。
さて、どうなんだろう?
とりあえず、リビア砂漠はサハラ砂漠の一部だと思うことにしている。北アフリカの砂漠はすべてサハラに含まれるのではないかと。
さて、ではアラビア砂漠は?これは悩むことがない。ほぼ共通して、紅海から先のシナイ半島とアラビア半島を含むアラブ圏の砂漠を全てをアラビア砂漠と呼ぶようだ。

ZD50-200
シェルタリングスカイ Sheltering SKY
オアシスで、そして砂漠で、小雨降る雨雲を見ていたら、ああ、もしかしたら作家ポール・ボウルズの云う「シェルタリングスカイ」とは、こんなサハラの空なのかもしれないなと思った。
小説の内容とは関係なく、そのタイトルの言葉そのものだけから得るイメージはサハラの秋から冬の空。日差しの強すぎない青い空に白い雲。しかし、今回そのイメージが空を覆いつくすグレーの雲に変わった。
雲を見ていると、太陽から守られ、自分以外の全ての外部から、そして宇宙からも守られているように感じた。
僕の勝手な想像だが、マグレブの虜となった作家やアーテイストたちの半分くらいは、元気な軽く楽しいポップなアフリカに惹かれたのではなく、曇った日のその空や町中の雰囲気の重さに惹かれたのではないかと思う。どことなく、やるせない、しかし無視することは出来ない空気を感じることも多いから。
そして僕は、モロッコとその南部サハラのサーカス小屋的なアヤシサに惹かれる。エジプトの分かりやすいジェラシックパーク的な騒々しく明るく賑やかなそれとは正反対の、あくまでもやわらかくやさしい怪しさ、妖しさ。
そのアヤシサは、真昼間に正面からズサッとナイフで刺されるのではなく、寝ている間に小さな針で、致命的にはなりえない量の毒をさされ続けられるような感覚(どちらも経験したことなどないですから、勝手な想像です。笑)。
だから、僕はモロッコを怖れているのだろう。もし半年以上いたら、永遠に抜けられなくなりそうだから、近づきすぎないようにしているのかもしれない。
しかし、アラビア砂漠にあるルブアルハリ砂漠の不愉快な恐ろしさではなく(僕はあそこにはまた行きたいとはあまり思わない。しかし、砂漠としての美しさはかなりのものだ)、もっと甘い魅力がある恐ろしさ。
人によって受ける印象はそれぞれ全く違うのだろうが、モロッコのサハラが多くの人にとって、興味深く強烈に魅力的なのは確かだと思う。


小説の内容とは関係なく、そのタイトルの言葉そのものだけから得るイメージはサハラの秋から冬の空。日差しの強すぎない青い空に白い雲。しかし、今回そのイメージが空を覆いつくすグレーの雲に変わった。
雲を見ていると、太陽から守られ、自分以外の全ての外部から、そして宇宙からも守られているように感じた。
僕の勝手な想像だが、マグレブの虜となった作家やアーテイストたちの半分くらいは、元気な軽く楽しいポップなアフリカに惹かれたのではなく、曇った日のその空や町中の雰囲気の重さに惹かれたのではないかと思う。どことなく、やるせない、しかし無視することは出来ない空気を感じることも多いから。
そして僕は、モロッコとその南部サハラのサーカス小屋的なアヤシサに惹かれる。エジプトの分かりやすいジェラシックパーク的な騒々しく明るく賑やかなそれとは正反対の、あくまでもやわらかくやさしい怪しさ、妖しさ。
そのアヤシサは、真昼間に正面からズサッとナイフで刺されるのではなく、寝ている間に小さな針で、致命的にはなりえない量の毒をさされ続けられるような感覚(どちらも経験したことなどないですから、勝手な想像です。笑)。
だから、僕はモロッコを怖れているのだろう。もし半年以上いたら、永遠に抜けられなくなりそうだから、近づきすぎないようにしているのかもしれない。
しかし、アラビア砂漠にあるルブアルハリ砂漠の不愉快な恐ろしさではなく(僕はあそこにはまた行きたいとはあまり思わない。しかし、砂漠としての美しさはかなりのものだ)、もっと甘い魅力がある恐ろしさ。
人によって受ける印象はそれぞれ全く違うのだろうが、モロッコのサハラが多くの人にとって、興味深く強烈に魅力的なのは確かだと思う。


モロッコ・サハラらしい場所 Kasbah
僕にとって、モロッコのアトラス以南のサハラで思い浮かぶものは大砂丘、ベルベル人、そしてカスバだ。
カスバといっても、観光地化されたものから、今も人々が住むものまで数え切れないほど存在する。
今回は、あまり知られていないマイナーなカスバにも行ってみたり、カスバだらけの比較的知られていない村でカスバをホテルに改装した場所に宿泊してもみた。カスバに宿泊するのもなかなかいいものだ。
チュニジアのマトマタに宿泊したこともあるが、あそこが快適とは言いがたかったのに比べ、モロッコのカスバはエアコンまで付いて、広いバスルームに部屋専用の中庭向きの部屋より広いバルコニー(?)まであって快適そのものだった。
造りが似たような建築物はリビアのサハラやエジプトの西方沙漠奥のオアシスにもあるが、やはりカスバはいかにもモロッコのサハラらしいものだと思う。もしかしたら、砂丘を見るよりもモロッコ・サハラを体験させてくれる場所かもしれない。

ZD14-54
カスバといっても、観光地化されたものから、今も人々が住むものまで数え切れないほど存在する。
今回は、あまり知られていないマイナーなカスバにも行ってみたり、カスバだらけの比較的知られていない村でカスバをホテルに改装した場所に宿泊してもみた。カスバに宿泊するのもなかなかいいものだ。
チュニジアのマトマタに宿泊したこともあるが、あそこが快適とは言いがたかったのに比べ、モロッコのカスバはエアコンまで付いて、広いバスルームに部屋専用の中庭向きの部屋より広いバルコニー(?)まであって快適そのものだった。
造りが似たような建築物はリビアのサハラやエジプトの西方沙漠奥のオアシスにもあるが、やはりカスバはいかにもモロッコのサハラらしいものだと思う。もしかしたら、砂丘を見るよりもモロッコ・サハラを体験させてくれる場所かもしれない。

ZD14-54