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サハラの昔話 what was he looking at ?

昔々、しかし、そう遠くは無い昔の話。
リビアのサハラ砂漠のある場所での話。

まだ、サハラのその場所に、外から誰も訪れなかった頃、彼らにとって「走るもの」はラクダやキツネや狼だけだった。ある日、一台のジープがやってきた。彼らはとんでもない新種の生き物が現われたと思い、恐れおののき、恐怖に怯えたという。

今でも、笑い話として語り継がれている話。

今では、ジープは彼らにとって必要不可欠なラクダ代わりの乗り物となっている。

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テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

ガダミスで聞いた話

リビアのガダミスへ行った時のこと。
とあるトゥワレグの男に、ガダミスの建物の屋根の装飾を見るとなんとなくイエメンを思い出すという話をした。
これはガダミスのそれがイエメン建築物に似ているという話ではなく、雰囲気がなんとなくそう思わせるという意味だった。

その男は嬉しそうに、待っていましたとばかりに真剣に、アフリカの全てのトゥワレグ族は元々はイエメンからアフリカ大陸に渡ってきたという話をしだした。
この話は、私はガダミスのその人ひとりにしか聞いたことがない。

それが真実であろうが、単なる思い込みであろうが、またはその場のジョークであろうが、オリジナルでユニークだと思った。

ガダミスへは旧市街目的に訪れる人が多いと聞くが、そこから数時間以内の距離の塩湖や砂漠もなかなか(かなり)魅力的だ。また、ガダミスから砂漠を南下して、数日かければアカクスの方まで抜けれるという話も聞くが、このルートはいつの日かトライしたい、夢の夢。

はやく、再びリビアに訪れることの出来る状況になることを願う。

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砂丘の形に見た夢 Dune in Libya

砂丘には様々な形がある。

オマーンのワヒバのようなやわらかい丘のようなもの。
西方砂漠のグレートサンドシーのような、波がいくつも重なったようなもの。

僕が好きなのは、こんな彫刻のようなもの。

気持ちよく蛇のように流線を描くこの砂丘には、リビアの広大なサハラの赤い砂のある一部で出会った。
リビアは白い砂、黄色い砂、赤い砂の砂漠があり、その全てを廻ったが、黄色い砂の場所は丸くシンプルな丘や山のような感じで、白い砂の場所はいわゆるいかにもラクダが似合いそうな何処までも続く砂丘の海、赤い砂の場所は複雑で美しい形をしたタイヤの跡もラクダの足跡もない砂丘が奥深く続いており、ロマンチックとは程遠く、ミステリアスでアヤシイ雰囲気だった。

僕が行ったことのある砂漠に限るが、僕はリビアの砂丘の群れが一番美しいと思う。
他にも世界には美しい砂丘が数多く存在するのだろうが、何故だろう?メルズーカの記憶のせいかな?
僕にとっては、「砂丘」は北アフリカで見たいと思う。

いつの日か人生を終える場所は、地中海のアレクサンドリアかサハラの砂丘の涼しい日陰がいい。


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現在が思い出になる時 Dunes and black shadows

新たな何かが始まる代わりに、大切な何かが終わり去っていく。
子供のように駄々をこねようが、泣き叫ぼうが、何かが生まれ何かを失う。

2011年、何かが大きく変わっていく。何かが得られ、そして別の何かが奪われていく。

私は数年前のリビアのサハラ砂漠を思い出しながら、耐え難い切なさとともに、甘い幸福感を噛み締めた。
永遠、私の記憶の中では、目に焼きついたサハラの砂丘の光は永遠に。

そして、私の心の中では、砂漠の中の大都市カイロの空気の匂い、私の過ごした長年の砂の中の都会で見上げた太陽と月の光は甘く永遠に。友たちと過ごした日々も永遠に。

真夏のクラクラするカオスの中、砂丘の形をした蜃気楼を見たような気がした。 

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サハラの中の舗装道路で。 on the way to Ghat

ある国のサハラ砂漠をアルジェリアとの国境近くにある、トウアレグ族が定住している町に向かっていた時の事だ。
砂漠の中に1本だけある舗装道路を走っていた。
道路の両側では強烈な日差しの中、蜃気楼があちこちに浮かんでは消え、地平線と砂丘や岩山だけが延々と続いていた。
蜃気楼は、まるでいくつもある湖のように見えクラクラした。 日が暮れる1時間ほど前だった。

そんな道を向こうからトコトコ歩いてくる、17歳くらいの黒人の少年がいた。
ぼろぼろの靴を履いて、一番近い町までは50KM以上あるような半端な場所だった。僕の向かっていた町から歩いてきたらしいから、既に100キロは歩いてきた事になる。いったい何日かけて歩いて、日陰も無いような砂漠の何処で寝たんだろう?
ニジェールあたりからの密入国者のようだった。

あの辺の国からは、毎日のように仕事を求めて、サハラ砂漠を20日近くかけて、軽トラで渡ってくる密入国者がかなりいるそうだ。
その9割以上の人たちは、軽トラが故障したりして、たどり着く前にサハラのど真ん中で命を落とすらしい。小さな軽トラに数十人も乗り込むそうだ。
たどり着いた中の更に9割は警察に捕まって、強制送還されるか刑務所に入れられるらしい。
あのボロ靴を履いた少年も、きっと次の町にたどり着く前に捕まるだろうと、サハラ南部出身のドライバーが呆れた様に言っていた。

ドライバーと料理人には止められたのだが、少年に車に乗って一緒に僕の向かっていた町まで戻るかと聞いたら、笑顔で拒否してきた。英語もアラビア語も通じないようなので身振り手振りの会話だった。
僕も馬鹿だった。その町に職が見つからなかったから、次の町(村)に歩いていこうとしていたのだろう。
水のボトルと食料を渡して別れた。
少年は希望に満ちた顔で「ありがとう」の一言を言葉ではなく笑顔で残して、またトコトコと歩いていった。

贅沢に撮影旅行をしている僕のような日本人もいれば、食いつなぐ為の僅かな希望を持って、命をかけてサハラを渡ってくるアフリカ人も居る。
僕にとってはサハラは美しく謎に満ちていて、オープン博物館か天然美術館のようだが、少し運が悪ければ命に関わる恐ろしい場所。
多くのアフリカ人にとっては、夢を得れるかもしれない、しかしきっと幻想でしかない国への、命を奪う単に恐ろしく厳しい場所。

どちらにとっても、夢を見れるが恐ろしい場所という事だけが共通しているが、その重みが全く違う。
恥ずかしくも複雑な気持ちになった。

素晴らしい希望に満ちた笑顔を持った少年だったが、カメラを向けようかどうか一瞬だけ迷った後に、少年は撮らずに少年が歩いてきた道にレンズを向けた。。


あの日から3年以上経ったろうか。少年はどうしているだろう。

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