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オマー・シャリフ  Wadi Rum

今日、2015年7月10日、エジプトの俳優オマーシャリフ氏が亡くなられたようだ。

砂漠映画の傑作である「アラビアのロレンス」でアリの役で登場していた俳優だ。
オマーシャリフの出演作は、実はその一作のみしか私は観たことがない。
しかし、あの一作のみでも、その強烈な存在感で私の記憶から消えたことがない。

「アラビアのロレンス」の舞台であるヨルダンのワデイラム砂漠へ行く度に、オマーシャリフ演じたアリが馬かラクダに乗って現れるのではないかと思ったものだ。

最後に「動く」オマーシャリフ氏を観たのは、革命時にエジプトのテレビでだった。
デモ衝突が激しくなり、海外に脱出する氏がインタビューを受けていた。
内容はよく思い出せないが、氏がカクメイを支持していたことだけは覚えている。

天国で安らかに。


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砂の都  The City of Sand

砂漠としてのカイロの話を。

はじめてカイロと言う大都会を見た時に、華の無い都会に見えた。
そのひとつの理由に、建築物が地味なサンドベージュのような色のものが多く、その中に突然に白いビルや色付のビルがあったりして、その統一性の無さに僕は美しさを見いだせなかった。

しかし、、、

高い場所からカイロを眺めてみると、不思議なことにサンドベージュでいいんだ、と思えてくる。
そうか、その砂色の高層ビルが空中砂舞う都会全体を砂漠色にしていたわけだ。
もちろん、その時間帯によっては光加減でグレーに見えたりと砂色ではなくなるわけではあるが。

その辺は計算されたものなのか単なる偶然なのかはわからないが、とにかく砂色の大都会。
これもカイロを「沙漠」と僕は認識している理由だ(笑
実際に砂漠にビルを建て大都会にした場所ではありますが。

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テーマ : アフリカ
ジャンル : 海外情報

もう一種のキツネ Nile Fox

今迄に砂漠で見たことのある砂漠キツネは三種存在する。

一種は、あの猫のように小さなフェネックと呼ばれる白っぽいかわいいキツネだ。
フェネックは、モロッコのメルズーカで宿の屋上で満点の星空の下で遭遇したのが最初だった。1998年のこと。
その後は、2004年にエジプトの白砂漠のキャンプ中に遭遇した。その日は月夜だった。

もう一種は、フェネックに似ているのだが、フェネックより少し大きめで、目の下がオレンジ色のキツネ。
フェネックかと思ったが、どうも顔が違うから、仲間ではあっても微妙に違う種類だと思う。
これは西方砂漠のクジラの谷にキャンプした時に遭遇した。2009年のことだった。

そして、もう一種は、ナイル狐と呼ばれる赤茶のキツネ。
はじめて見たのは、2011年にファイユームオアシス近くのサバクに行った時。
その時は、砂漠の中で屍を見た。ナイル狐は砂漠にまで遠征するのか、と驚いたものだ。
はては、迷い込んでチカラ尽きたのかもしれない。

そして、その同じ種類のナイル狐を2014年の10月にアスワンで見た。
ナイルを望むホテルのバルコニーから、夜明け前に下を見たらナイルの土手沿いに居た。
あっという間に走って行ったので、翌朝、同じ時間に待ってみたら、また現れた。
アスワンも砂漠に囲まれているから、砂漠キツネ?と呼んでも差し支えないだろう。

画像は2014年、10月にアスワンで見たナイル狐。

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テーマ : 動物の写真
ジャンル : 写真

アマルナ遺跡   Desert for Aten

アメンホテブ4世=アクナトン王

ツタンカーメンの父。
世界初の一神教=太陽神アテンを信仰し、それにて統治。
それまでの軍人ファラオとは異なり、自然を愛し、「愛と平和」を求めた王。

さて、この王は当時、都だったルクソールを現在の中部エジプトのミニア近辺の(テルエル)アマルナに移した王だった。その憧れながら行きそびれていたアマルナ遺跡にやっと行ったのはカクメイ後の2012年1月になってからだった。

ずっと行きそびれていた中部エジプトの東方砂漠のど真ん中にある遺跡。
日本で、未だに富士山にも北海道にも実は行ったことが無いのと同じ理由だ。その心は「いつでも行けるから」・・・だった。
しかし、カクメイ後につくづく思ったのは、「いつでも」や「いつか」は訪れる前に消えてしまうことも多々あるということ。
よって、カクメイ後は思い立ったが吉日。何処かに行きたい時には、観光警察に電話し確認し、もし「治安的にも問題ない状況だった場合には」何処にでも即行くようになった。

このアマルナに行った時期は、かなり寒かったのを覚えている。
ミニヤのナイル沿いのホテルの熱いシャワーを浴びるのが動き回った一日の終わりに心地よい癒しとなり、至福の時だった。

カクメイ以来誰も訪れなかったその遺跡に、カクメイ後に最初に訪れたのが私だと現地の警察に言われたのを想い出す。
元々、ツアー客はほとんど訪れない土地であり(訂正・アマルナを含むツアーはたまにあったそうだ。現在は不明。)、交通の便に難があることから個人の自由旅行者も余程、古代遺跡に興味があるのではない限りは昔から足を延ばさない場所だった。

遺跡そのものよりもその土地の持つ空気や光や雰囲気の特殊さが、個人的には印象に残っている。
言葉ではうまく説明出来ないが、ありきたりの言葉でいえば、スピリチャルな空気漂う特別な土地に思えた。

かなり広大な遺跡跡で、車は必要であり、とても徒歩で周れる遺跡ではない。
うっすらと砂に覆われた空気の下の砂漠の中、太陽光が砂を通して降ってくる感覚に、アクナトン王の信仰したという太陽神を垣間見た気分になった。ただし、ルクソールにあるような状態の良い派手な神殿等はアマルナにはない。

私が訪れた時は急行列車でカイロから4~5時間ほどの予定だった、しかし途中で列車が何故か止まってしまい、結局ミニヤまで7時間ほどかかり疲れたが忘れ難い列車の旅となった。
車窓から観た夕暮れ時の椰子の木や畑を今でも鮮明に記憶の中に蘇るほど、あの日を忘れない。

アマルナはそのミニア市から車で更に数時間行った砂漠の中にある。ミニアには三泊ほどしあちこちレアな遺跡を巡った。ミニアのホテルはナイルが見え、なかなか居心地が良かった。
あちこち5か所くらい廻ったよう記憶する。珍しいローマ遺跡やら、キリストと聖母が立ち寄ったと言われる洞窟に出来た教会やら、興味深い場所は意外と多い。
個人で簡単に移動できる場所ではないことから、ツアーでない場合は昔から個人的に警察のエスコートは必須な場所だった。

(( 今では急行列車でミニアで外国人が下車することは禁止されています。また、治安に関しては要チェック。(もし、治安に問題が無い時期に)個人の場合、日常会話程度のアラビア語能力は必要かと思います。英語はホテルのレセプション以外ではほとんど通じない地域と思っていいでしょう。また、個人の場合、自分で現地警察に連絡を取り同行をアレンジすることが必要な地域だということもお忘れなく。))

さて、アクナトン王は世界最初の一神教=アテン神(太陽神)信仰をもたらした王でもあり、古代ファラオの歴史でアビドスにそのカルトーシが発見された謎のスコーピオン王と共にミステリアスな王。
その時代の壁画はアマルナ美術と言われ、他の時代とは違ったやや繊細な、敢えて言えばファラオ風「印象派」的な独特なアートで私は大好きだ。

アマルナ美術ではヒトの後頭部がややとんがっていて(?)不思議な形をしているが、私の友人に二名ほど同じような頭の形の人が実際にいることから、デフォルメではなく現実だったと私は想像する。

エジプトの砂漠の中にある古代遺跡の中で再び訪れたい場所のトップがこのアマルナだ。
いつか、また行ける日が訪れることを、あの時と同じ寒い冬のカイロで…願う。

この階段を登りきると、そこにアマルナ美術を観ることが出来るいくつかの墓がある。遺跡跡の周辺はどこまでも砂漠。
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これは北の宮殿跡。ここにアクナトンやネフェルテイテイが住んでいたのだろうか?
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テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 海外情報

エル・カーブ El Kab

気がつくと2014年も終わりに近づいていた。

今年は夏にたった一度このブログを更新しただけだった。
過去の砂漠の記憶から、記すことはたくさんあるのだが、なんとも気が乗らなかった。

夏に記したように、北アフリカ、アラビアの砂漠で安全に行ける場所が極端に減り、夏以来、エジプトの砂漠に関しては、西方砂漠が、砂漠内でのキャンプが安全上禁止となり、現時点(2014年12月)では、白砂漠に日帰りのみOKのようだ。

考えてみると、砂漠で最後にキャンプをしたのは2010年だった・・・その後に砂漠には幾度か行っているが、テントで寝袋で寝るということをしてから、いつの間にか4年以上も経ってしまったわけだ。砂漠キツネが日没とともに出没する音の無い乾いた世界が懐かしい…。

さて、そんな情勢から、今も問題なく行けるモロッコの砂漠やオマーンの砂漠にも今年は(も)行かず、しかし、エジプトの砂漠の遺跡にはいくつか行った。

その中で、興味深かったのが、このエル・カーブの墓遺跡。

比較的(いや、かなり。笑)簡単に行けるので秘境とはとても呼べないが、一般的には足を延ばさない場所だろうか?

ルクソールから車でエドフに向かって東岸を1時間半ほど行った道路近くのサバクの丘の上にその墓遺跡がある。
ほとんど観光客が寄らない場所なので、ゆっくり独り占めで見学できるのがいい。

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時代的には、誰でも知っているであろうツタンカーメン等の存在した一番派手な時代・・・新王国時代の墓だ。
その割には、いわゆる派手な神々の絵はほんの少ししか無いことに驚いた。例えば鳥の頭を持つホルスやら、ワニの神やらの絵が、あまり見られず、人々の生活が多く描かれている。

この下の画像は、墓の入口。ここには比較的(?)新王国時代らしいレリーフがあった。

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見学できるのは4つの墓のみ。その丘の上の墓から下を見下ろすと、大きな泥煉瓦の壁が見える。城壁のようなものだ。厚さが10数メートル、高さもそれくらいだろうか?
その泥煉瓦の中に入ることは禁止されているのだが、他では見ることの出来ない光景なので、なかなか興味深かった。壁の向こうがどうなっているのか非常に興味深い。

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エジプトは広く奥深い。
長年、ここで生活しあちこち見たつもりでも、まだまだ見ていない興味深い遺跡や土地がたくさんある。
ガイドブックに記されていない興味深い場所も実は数多い。(このエルカーブはほとんどのガイドブックに記されている)

歴史は繰り返すというが、古代エジプトにも不安定な時期が数多く存在しながらも、その偉大な歴史は続き綴られてきた。
現在、不安定な現代エジプトや北アフリカやアラビア語圏ではあるが、「そんな時期もあった・・・」と長い歴史の中に於いては、砂漠で一瞬舞う砂埃の、ほんの一粒の砂程度のことなのかもしれない。

平和の訪れを心から願って、2014年終わりに。

Happy New Year 2015 !

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